悪夢の4日間(2日目) -カーボベルデ-
結局その夜は、先々の不安とベンチの硬さに悩まされて、ほとんど一睡もできませんでした。朝8時になったら
イミグレの係官のところへ行ってパスポートを取り戻す、まずはそこからスタートだな。と二人で話し合い、その後は
お互い言葉もなく何度も時計を見ながら、ひたすら夜が明けて朝になるのを待つばかりでした。
長い長い時間が過ぎてようやく6時半ころになると、朝の便に乗る人たちがパラパラと空港に集まり始めてきました。
ほとんどが欧米からの旅行客のようで、ザックやスーツケースを片手にチェックインにやってきます。
我々もつい昨日まではあの人たちと同じ立場にいたのに。。。などとぼんやり考えながらその様子を眺め、
時計が8時を指すのを待ちます。昨夜から我々と寝床を共にした地元の乗客らしき人は、まだベンチで横たわって寝ています。
彼らはいったいどこに行くんだろう?
そうしているうちに人はどんどん増え、昨夜同様チェックインカウンターに長蛇の行列ができるころ、ようやく
8時になりました。
私「A氏、そろそろ行こうか」
A氏も心身ともに疲れきっているのか深いため息をつくと、そうだね、と一言言ってベンチを立ちます。
二人とも重い足取りでイミグレオフィスに向かいました。
イミグレには昨夜と同じ顔ぶれに加えて、イミグレのラッシュ時のためかさらに何人かが慌ただしく出入りしています。
我々は昨夜と同じ係官を捕まえて、
私「約束どおり8時に来た。パスポートを返してくれ」
と、告げました。内心、彼らが素直にパスポートを返してくれるかどうかはかなり怪しいと思っていたので、警戒していると、
係官「ああ、いいよ。ちょっと待ってて」
といってオフィスに入っていきます。意外と簡単に返してくれるんだな。でもまあとりあえずはよかった、と思いながらも、
散々待たされた挙句返してくれました。それでも予想外にスムーズにことが運んだので、これはうまくすれば昨夜と態度が
変わっているかも。と思いその係官にダメもとで訴えてみます。
私「これ以上帰国が遅れるわけにはいかないので、今日これからリスボンへ戻りたい」
係官「それはだめだ。きみらは来たルートと同じルートで帰るんだ」
私「そんなことをしていたら帰国が大幅に遅れるし、チケットも買い直しで大金がかかるじゃないか。
なぜだめなのか理由を聞かせてくれ」
係官「アイ、ドーント、ノウ」
と言い残し去っていってしまいました。うーん。やはりそこは昨日と変わりなしか。しかしまあパスポートは手元に戻った
ので一歩前進か。
この状況は予測はしていたので、我々は予定通り国際電話を掛けられるところを探しにかかりました。
昨日より冷静に探してみると、電話会社のオフィスらしきところを発見。しかし残念ながら閉まっています。
せっかく見つけたのに。。。
しかたがないので、次に昨日我々を案内してくれたガイドのJさんの旅行会社も訪れてみることにします。
Jさんの旅行会社は、カーボベルデのランドオペレーターとして外国人観光客の世話をしており、サル島では空港内に
オフィスがあります。しかしそのオフィスも同様に閉まっています。えっ!こっちもだめ?どういうこと?
私「まだ早いのかな。といってももう10時だし。まさか今日は休み?」
A氏「うーん。休みだったら最悪だ。ここしか頼れるところないんだし」
一刻も早く打開の道を見つけたいと思っていた我々には、まるで最後の望みを絶たれたような気分です。
昨日訪れたJさんの家に直接行ってみようか。しかしどの辺だったか今ひとつ記憶が。再び絶望感が襲ってきました。
と、その時、「何か御用ですか?」と後ろから若い女性に声を掛けられました。その女性はどうやらスタッフのようで、
オフィスの鍵を開け我々を中に通してくれます。よかった。話を聞いてもらえる人ができたことで、ひとまずは緊張感が
ほぐれ安心感が湧きます。聞けばその女性スタッフはSさんという人で、さっそく事情を話すと、ほんとに心配してくれた
様子で、
Sさん「ちょっとここで待っていてください。私がポリスに行って話をしてきますので」
といって出て行きました。ポリスというのはイミグレのことで、現地の人はみなそう呼んでいるようです。
ともかくいい人でよかった。現地の旅行会社に人が説明してくれたらうまくいくかも!と期待したのもつかの間、
少しして渋い顔をして戻ってくると、
Sさん「やはりここから直接出国することはできないと言ってますね。ダカール経由で戻れと」
やっぱり。もしかしたらと思ったけどだめか。ともかくJさんに連絡するのと、日本への電話をしなければ。
我々「すみませんが、昨日我々をガイドしてくれた人に連絡をとれませんか?それから日本へ電話を掛けたいんですが」
Sさん「昨日のガイドって男性、それとも女性?」
我々「男性です。たしかJさんという方だったと思うのですが」
Sさん「じゃあ、これが彼の携帯の電話番号。それから日本へ電話するならエスパルゴスのホテルで掛けられるわ。
ちょうど私は今からそこへ行くところだから、よかったら一緒にどうぞ。ただし電話はすごく高いですよ」
ということで、Sさんと一緒にタクシーで、サル島の中心地エスパルゴスにあるホテル「アトランティコ」へと向かいました。
アトランティコは空港から車で4,5分の距離にある中級クラスのホテルで、空港からは一番近いホテルです。
ホテルへ着くとさっそくフロントに座っていたおじさんに電話を借り、日本への掛け方を聞いてまずチケット手配を
お願いした日本の旅行会社の緊急連絡先へ電話を掛けます。焦っていてあまり考える余裕がなかったため、そのとき日本が
夜ということに気づかず当直の人つながりました。事情を説明し、詳しい人に連絡が取れ次第、折り返しホテルに電話して
もらえることになりました。
私「とりあえずこれで現在の状況を日本に知らせることができたね」
A氏「うん。もしかしたら何かいいアドバイスがもらえるかもしれないね。でも、こっちでもここを出る
方法考えないと」
私「最悪の場合、ダカール経由で戻ることも考える必要があるのかな」
A氏「最悪の場合、ね。今のところダカールから帰る分には問題ないようだし。ただいつ気が変わるかわからないけど」
私「それに今度はプライアのイミグレで問題が起きないとも限らないし」
などと出国の方法について話し合っているとき、フロントのおじさんから電話料金を書いた紙を渡されてびっくり。
およそ15分ほどの通話で、日本円で約1万円の料金が書かれています。た、高い。あらかじめ高いとは聞いていたけど、
こんなに高いとは。その様子に気づいたのか隣で待っていてくれたSさんは、メールかFAXであればオフィスのを使って
かまわないと申し出てくれました。これからはなるべくこちらからの連絡はそうさせてもらおう。料金はともかく電話は
確保できたので、家への電話は日本の時間を見計らって後ほど手短に掛けることにします。
その後、なんとかJさんへも連絡が取れ、事情を話すとヘルプしてもらえることになりました。よかった。
しかしその日は他のグループ客のガイドの仕事が入っているため、翌日オフィスで会おうということになりました。
私「日本からも連絡待ちだし、あのイミグレは我々ではどうにもならないし、こりゃ今日中の出国は無理だなぁ」
A氏「そうだなぁ。ともかく今後の予定を考えますか。でも、なんかどっと疲れた。。」
それ以上何をすればよいかもすぐには思い当たらず、とりあえずJさんと日本への連絡はとれたことで、
安堵感とともに疲労がどっと押し寄せてきました。そういえばここホテルだっけ!ちょっと休もうか!昨夜はほとんど
一睡もしてないからな。体を壊したらもっとひどいことになるし。
そこでさっきから何事かと不思議そうな顔で見ていたフロントのおじさんに、
我々「部屋空いてます?」
フロントおじさん「ああ、空いてるよ。泊まるかい」
我々「いくらです?」
フロントおじさん「(日本円でおよそ)1部屋4000円だよ」
なんだ。電話はばか高いのに、部屋はそれほどでもないんだな。
まだお昼でしたが、二人とも疲労しきっていたため、Sさんにはそのホテルに滞在することを告げ、お礼を言って
ひとまず別れました。
4000円の部屋は、値段相応なのか狭いツインルームで、紙が張られて外が見えない小さな窓が1つあるだけの
薄暗い部屋でした。しかし昨夜のベンチに比べればましで、今後の計画を立てるつもりが、二人ともそのままベッドに
倒れこみ眠りに落ちてしまいました。
どのくらい眠ったのか、ドアのノックの音でまずA氏が目覚め対応にでます。聞くとフロントからの電話の呼び出し
のようです。私も飛び起きて急いでフロントへ向かいます。時間はすでに夜7時ころになっており、
外は暗くなっていました。えっ、こんなに眠ってしまったのか。と思いながら受話器を取ると、それは日本の旅行会社
からでした。昼頃話した人とは別の人で、再度状況確認と励ましの言葉を頂きました。正直、この状況で日本語での
励ましの言葉はかなり心強く感じます。結局、明朝空港のオフィスに電話を頂き、Jさんも交えて相談することになりました。
その後部屋に戻り、お湯の出ないシャワーを浴びます。その日は朝から何も食べていないことを思い出し夕食でも
とろうかと考えましたが、精神的、肉体的疲労からかあまり食欲もなく、明日こそは無事出国できることを願って
再び眠りにつきました。