エジプト
アスワン周辺

 アスワンはエジプト南部、ナセル湖の北端に位置する町です。この町の南部に、ナイル川をせき止める アスワンハイダムがあり、このダムによってその上流域にナセル湖が形成されています。
 アスワンは王朝時代には、ピラミッドやオベリスクなどで使用される石材の石切り場がありました。 現在も切りかけで放置されているオベリスクが残っていて、はるか昔にどうやってオベリスクを切り出していたかを うかがうことができます。
 ナイル川に浮かぶ島や川沿いには、近代的で大きなホテルがいくつも建っており、フルーカと呼ばれる帆船で、 のんびりと水遊びを楽しむこともできます。またイシス神殿やクヌム神殿などの神殿遺跡もあります。
 アスワンから南、スーダンにかけての地域は、ヌビアと呼ばれる人々の住む地域とのことです。 ヌビア人はアラブ人とは異なり、肌の色が黒く独特のヌビア語を話します(アラビア語も使いますが)。 ヌビア語は、一般のアラブ人(エジプト人)にはわからないそうです。

アスワン近郊の風景

 アスワン市街側よりナイル川西岸を望む風景です。ナイル川とその周辺の緑、 そしてその外側の砂漠地帯がマッチして、独特の風景を作り出しています。
 手前のナイル川では、フルーカと呼ばれる帆船を利用して、周辺の観光をすることができます。

ホテル「オールド・カタラクト」

 アガサ・クリスティの「ナイル殺人事件」の舞台として利用された、 ホテル「オールド・カタラクト」です。内部はレトロ調でなかなか雰囲気がよく映画の舞台として 使われるのも納得でした。
 横を流れるナイル川の対岸はエレファンティネ島で、奥に見えている塔状の建物は、 「アスワン・オベロイ」ホテルです。

アスワン市街遠望

 アスワンダム付近よりアスワン市街方面を望む風景です。
 遠望過ぎて街の様子がよくわかりませんが、アスワンは砂漠と緑と建物が調和した雰囲気のいい町でした。

アスワンダム

 その昔、ナイル川は毎年夏になると氾濫し、流域住民や農作物に大きな被害を与えていた そうです。そこで川の氾濫をコントロールしようとして、1902年に建設されたのがこのアスワンダムでした。
 しかしこのダムでは完全に解決されず、さらに上流にアスワンハイダムを建設することになりました。

アスワンハイダム

 アスワンダムの上流にあるさらに規模の大きなダムです。1972年に完成しました。 このダムの建設により、それまで氾濫を起こして流域住民を悩ませていたナイル川が、治水されるようになりました。
 ダムの上流側には、貯水によってできた全長500kmにもおよぶナセル湖が、遠くアブシンベルのほうに向けて続いています。

切りかけのオベリスク

 ピラミッドやオベリスクなどの建設で使用された花崗岩の石切り場にある切りかけのオベリスクです。 近くで見るとその巨大さに圧倒されます。当時、建造に使用された花崗岩の多くは、アスワン周辺で切り出されていた そうです。
 大昔にこんな大きなものをどうやって切り出したのか興味深いところですが、方法として一定間隔おきに 切り込みを入れ、そこに木製のくさびを打ち込んで、その木を水に濡らします。するとそのくさびが膨張して、 周囲の石が割れるという仕掛けとのことです。
 切り出した石はどうやって下流に運んだのかというのも興味深いですが、これはナイル川の氾濫を利用して、川を使って 運んだそうです。昔の人の知恵には驚かされます。

イシス神殿(フィラエ神殿)

 イシス神殿はアギルキア島というナイル川の中の島にあります。この島へ渡るには、 アスワン郊外の船着場からボートで渡ります。
 イシス神殿はフィラエ神殿とも呼ばれ、もともとは隣のフィラエ島にあったのですが、ダム建設により 水没してしまったため、この島へ移転されたそうです。

イシス神殿 -第1塔門と列柱-

 イシス神殿の第1塔門への外庭です。両側に列柱が建っています。塔門や列柱には、 水没していたときの名残りで、黒いラインが残っています。それにしても水没した大きな神殿をまるごと 別の島に移すというのもたいへんな作業だったんでしょうね。

ナイロメーター

 イシス神殿内にあるナイロメーターです。 ナイロメーターとは、かつて毎夏氾濫を起こすナイル川の水位を測定するために作られたものだそうです。
 階段状の石段の奥はナイル川と結ばれており、ナイル川の水位が上がると、ここにも川水が入って水位が上昇し、 階段のどの位置まで上昇したかによって水位を測定していたそうです。